パリ協定の採択から早8年以上が過ぎる中、気温上昇を1.5℃以内に抑えるため世界的に脱炭素化の取組みを加速化させる必要性が高まっています。特に電力、石油・ガス、鉄鋼、化学、交通等の多排出産業におけるネットゼロを目指したGHG排出量削減が重要になっています。このような脱炭素化を支援する金融手法としてトランジションファイナンスが注目されています。

2010年代半ばから活用されてきたトランジションファイナンスは、国際資本市場協会(ICMA)が2020年12月にClimate Transition Finance Handbook[1]を公表して以降、資本市場を中心により幅広い活用が進められました。また、そのICMAの取組を受ける形で、経済産業省等が2021年5月に「クライメート・トランジション・ファイナンスに関する基本指針[2]」(“基本指針”)等を整備し、2022年以降日本が世界のトランジションファイナンス市場をリードする形となり、その一つの象徴的事例として2024年2月に世界初のトランジション国債として「GX経済移行債」が発行されました。

このように一定の盛り上がりを見せるトランジションファイナンスですが、更なる活用の拡がりには、未だ障害やハードルがあるように思われます。例えば、定義が曖昧なため、グリーンファイナンスとの関係性が分かりにくいという批判があります。また、低炭素化に貢献する技術までを幅広く対象に含めているため、中には化石燃料のロックインの懸念やそもそもパリ協定の目標との不整合といった観点での批判もあります。日本政府のGX経済移行債の資金使途に今のところガス火力発電所や石炭・アンモニア混焼火力発電所が含まれていないことも、このような懸念や批判と関連していると推測されます。

もう一つの観点は、環境整備に関する金融界や産業界からの要望に表れています。まず、GFANZ日本支部が2024年3月に出した声明[3]の中で、「国際的な投資家からも高く評価される中間目標の基盤として機能する、日本の高排出セクターの確たるセクター別の削減計画と移行経路の整備の更なる推進」を政策立案者へ呼びかけています。これまで整備されてきたセクター別の技術ロードマップだけでなく、セクター別の定量的なGHG排出削減目標の参照値を欲していると解釈できます。更に、日本経済団体連合会が2024年4月に出した提言[4]の中で、「わが国の長期的な産業戦略に対応するエネルギー需要について、2030年・40年・50年といった長期的スパンでの見通しを具体的に示すとともに、それに向けた供給基盤・エネルギー構成・インフラ整備・価格等の道筋を明示すべき」と訴えています。それに呼応するように、日本政府は2024年5月に開催した「GX実行会議」にて、エネルギー基本計画の見直しに加え、2040年を見据えた国家戦略「GX2040ビジョン[5]」を年度内に策定することを発表しました。

[1] Climate-Transition-Finance-Handbook-CTFH-June-2023-220623v2.pdf (icmagroup.org)

[2] クライメート・トランジション・ファイナンスに関する基本指針

[3] GFANZ-Japan-Chapter-Statement-Japanese.pdf (bbhub.io)

[4] 経団連:日本産業の再飛躍へ (2024-04-16) (keidanren.or.jp)

[5] 我が国のグリーントランスフォーメーションの加速に向けて

上記の懸念・要望等に応えるトランジションファイナンスの考え方が大いに求められる中、2024年6月に日本生命保険相互会社が「日本生命トランジション・ファイナンス実践要領[1]」を公表しました。まず目を引くのが“実践要領”という名称です。経済産業省による“基本指針”が民間企業や金融機関向けガイドラインであるのに対し、日本生命のものは実務的な運用方法に焦点が当っていると解釈できます。具体的にはトランジション適格性評価における“一貫性”と“柔軟性”という2つの特徴が挙げられます。

“一貫性”については、パリ協定に整合する科学的根拠に基づき国際的に信頼性のあるパスウェイを用いた適格性評価に終始していることに表れています。このパスウェイは、IEAの主要シナリオから導き出された2030・2040・2050年に亘る定量的なGHG排出量(インテンシティベース)の水準で表現されています。そのような物差しを使い、電力会社や鉄鋼会社のトランジション目標・戦略・計画を評価したり、個別アセットの評価を行います。特にアセットレベル評価においては、発電アセットや製鉄アセットだけでなく、それに紐づく水素、CCS/CCUS、蓄電池、送配電網などの付随アセットの適格性評価でもタクソノミーに拠らず、一貫してパスウェイ整合が精査されます。このように、従来サステナブルファイナンスの世界で広く用いられているタクソノミーではなく、パスウェイを用いた評価アプローチを採用することで、地域性や価値観の違いから生じる各技術に対する適格性の曖昧さやそれに伴う対立を極力排除した議論・検討が可能になると考えられます。

次に“柔軟性”について、パスウェイ評価の帰結として、対象企業のトランジション目標・戦略・計画がパスウェイ整合している限り、活用する技術の選択を企業に委ねている点が挙げられます。また、アセットレベル評価においても、計画内容次第では化石燃料を活用したアセットもトランジション適格になり得ます。このことは、トランジションにおいては、特定の技術そのものがアプリオリに適格か否かの判断をするのは難しく、パリ協定の目標との関係性に基づき、“誰が”・“いつまでに”・“何をするか”という文脈に依存して決められるべき、という思想に根差していると推察できます。

また、2030年までのパスウェイ適合を必ずしも求めず、カーボンバジェットの概念を用いて適合のタイミングに一定の柔軟性を持たせているという特徴も備わっています。このことは、出来るだけ早く1.5度パスウェイに近ける努力を企業に求めるものの、日本の電力・鉄鋼産業における脱炭素化の切り札である水素・アンモニア関連技術が本格的に実用化されるのは2030年以降と見込まれていることを考慮すると、妥当なバランス感覚に基づく運用に繋がると考えられます。但し、このことがGHG削減努力の極端な後ろ倒しに繋がることを避けるために、2040年までのパスウェイ整合及び2050年までの期間におけるカーボンバジェット面での均衡を担保するような信頼性のある戦略や投資計画の整備が求められています。

以上のような特徴を持つトランジションファイナンスは、国内外の金融・産業界の渇望を満たし、建設的な議論を促す形で同市場の更なる発展に繋がると期待されます。尚、ERMは、上記のような脱炭素に資するサステナブルファイナンスを中心にアドバイザリーサービスを行っています。お困りごとやご質問等がございましたら、お気軽にご相談ください。

[1] 日本生命トランジション・ファイナンス実践要領

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